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アンティークな琥珀堂

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義経の生きた時代





★ 政子の気持ち その1 2005/08/02 ★

昨日の、「義経」見ましたか?
タッキーがステキ、なんだか、ちょっとスリムになってますますいいですね。でも、今日は、ちょっとだけ、私の想像の世界です。

大姫(頼朝と政子の娘)は、木曾義仲の息子義高を偲んで、遂に倒れてしまします。頼朝と政子は驚きなんとか回復っするよう、義孝の盛大な供養を営みますが効果はありません。

この幼いふたりの恋の話が、コバルト文庫にあります。

これは、少女小説だから成功した題材でしょうね。
・・・・たった10歳でも、人を恋して死ぬことができるのです。
という、コンセプトで、私はいたく感動したのでした。

さて、実際の大姫の心の中は、どんなふうだったのかな。
「私の友達を、お父さんが殺した!!」
と、ショックを受け、
お父さんなんか、嫌いだ。と、なったのかも。

そして、大姫は死んでしまいます。
幼い子供は、一途で人を許す術を知らないので、それはもう、あっけなく死んでしまうのです。

(ごめんなさい、20歳まで生きたそうです。ただし、おかしくなってしまったことは確か。)

この時代、・・・頼朝や義経が生きた時代を、鎌倉時代と分類するのは、ちょっと厳しい。実際には、平安時代の最末期と捉えた方がいいと思います。
まだ、暗闇に、魔物が住んでいた時代です。
人の恨みが、人を殺せる時代です。

大姫が倒れた時、何故、頼朝が義高の供養をしたか、といえば、
「義高が恨んで、大姫に祟っている」と考えたからでしょう。
恨まれるということは、現代よりずっと恐ろしいことなのです。

しかし、大姫は、死んでしまった。
さあ、政子は、どう思ったか。
想像してみて。

そう。頼朝を恨んだと思うな。深く、深く。

「頼朝様が、戦でたくさん殺したから、その恨みを大姫が蒙った。」と思ったのではないか。

木曾を滅ぼし、平家を滅ぼし、頼朝の栄光は血の上に成り立っているわけです。
「なんと恐ろしい。」
これから先、どうなることやら。
もっと、祟られるのではないか。と気が気ではない政子。

頼朝がなくなり、息子の時代になります。
しかし、どうも、変だ。

上の息子、頼家は、キチガイだし、三男の実朝は、アホである。
これは、祟りに違いない。

息子達は、次第に父親に面差しが似てきます。
まあ、親子ですからね。

すると、ますます、政子は恐ろしくなる。
源氏の血が悪いのではないか。
源氏を絶やさなければ、祟りが静まらないのではないか。

そう、思いつめ、頼家は、伊豆に幽閉した後、殺してしまう。
実朝は、一族のひとりに暗殺されてしまう。

政子がどれほどの人だったのか知りませんが、日本の将来を考えて行動した尼将軍というのは、なんだか、???

少なくとも、我が子頼家を殺した説明はつかないような気がします。
跡継ぎを殺すのは、余程のこと。
キチガイだって、アホだっていいんです。
皆死んでしまった後は、お飾りの3歳の将軍を都から迎えるんですからね。
少なくとも、血がつながっている方がいいじゃない。
普通に考えたら。

しかし、源氏の血は、汚れています。
祟りは、同等の犠牲を持って、鎮めなければならないのだ。

かくして、源氏は、三代でおしまい。
そして、政子の実家が、執権として日本をぎゅうじるわけです。

もう、源氏の血の禊は終わった。
一件落着でした。

というわけで、大姫の死は、大きな意味があったのではないか。なあ。



★ 政子の気持ち その28/4 ★

尼将軍北条政子は、源政子ではないのね。

取りあえず、そこを押さえた上で、また、想像の世界へ行ってみましょう。
私の場合、大昔に読んだ本を思い出しているだけなので、間違っていたら訂正してください。

さて、頼朝と政子は10歳違い。

政子が物心ついた時、頼朝は既に蛭が小島にいたわけです。蛭が小島という所は、文字通り蛭がどっさりいるジメジメしたひどい場所。

そこへは、誰も近づきたくないわけ。
勿論、平家の目を気にしてるし、頼朝も子供だったし。しかし、「いずれ、時がたてば、」と思っている人もいて、実に20年間、密かに都の様子を書き送ったり、米を届けたりしています。

政子は、頭もよく、上昇志向が強かった。
周りにいる男達では物足りない。テレビにも出てきたでしょ。

彼女にとって、頼朝は憧れだったのでしょうね。
一方、当時、頼朝は、盛んに女を物色していました。
もちろん、自分の後ろ盾になってくれそうな家の女を探していたわけです。

誰でもよかったんだけど、歴史は面白いことに政子を選ぶのです。かわいそうな頼朝。彼は、自由と引き換えに自分を売ってしまったのですね。

政子は、頼朝を愛して、独占しようとします。
私の実家の助けがあったから、あなたはこうしてトップになれたのよ、というわけ。

しかし、頼朝としては、政子を利用したのだと思っている。
「他にも、いろいろしがらみはあるのだ。
お前ひとりが女ではない!!」と、言いたい。

言いたいけど、言えない。
なんたって、彼には、身内がいないのです。
いとこも、弟達も、殺しちゃった。
まわりは、全部、自分から利益を得ようとしている連中ばかりなのですね。

「オレは孤独だ。」

と、彼は、嘆く。
こんな時、政子はちっとも慰めてくれない。
そこで、亀の前という、低ーい身分の女を囲う。ここが、この男のいじましい所。自分が優位に立てる女を好みますの。

「んまあ、なってことを。」

と、政子は、それを知って逆上し、亀の前のメチャクチャにしてしまう。(ひどいのよ。かなり)

都生まれの頼朝は、平安時代の男なのです。
つまり、通い婚。
これが、彼の常識だった。

ところが、政子は、坂東の女。
いなかでは、女も働き手の一人として、なよなよなんてせず、発言権も強かったのではないかな。
木曾義仲の巴御前も強かったもんね。

かくして、”日本の結婚”は、政子のおかげで一夫一婦制に突入して行ったのでした。

たぶん。

源頼朝(1)

源頼朝(1)

この本は、面白かったです。頼朝を立派に書いている。
頼朝は、ハンサムよね。


がんばれ、政子


★ 政子の気持ち、その3 2005年08月05日 ★

政子と頼朝の、夫婦としての戦いは、
平安時代から、鎌倉時代、
貴族の時代から、武士の時代、
通い婚から、一夫一婦制への移行を象徴するものでありました。(勝手ですが)

そこで、政子は幸せだったのだろうか。
女として、母として、彼女は自分の人生をどう捉えていたでしょうか。

それこそ、想像するしかないのだけれど、
私は、案外満足していたのではないかと思いますねえ。

まず、あの時代において、自分が好きになった男性と結婚できた、というのは稀有のことであります。

しかも、その男性を助けてその人が望むことを手助けできた。これは、すごい満足感じゃないかしら。

さらに、自分の気にいらないヤツは、ことごとく排斥し殺すことが出来た。

今以上に血の繋がりの濃かった時代、実家を盛り立てることが出来た。

現代女性と比較しても、こんな大満足な人生はないでしょう。確かに、子供には恵まれなかったけれど、彼女には、実にいい弟がいたしね。

出ず、引っ込ます、彼女を立てて決して奢らず、北条家の執権政治の礎を作った人物、北条義時です。

彼と政子は大の仲良し。

「権力とは、蜜の味じゃのう。義時。」

「ほんとですね、でも、私達が権力を握っていると悟られないようにしましょう。お姉さん。あくまで、表向きは源氏の御旗を振ることです。そうすれば、中堅武士の北条家は安泰。」

「そうねえ、私達は、生まれが今一だからしょうがないわねえ。」

そういう、ふたりの深謀遠慮を理解できない源氏直系の2代目、3代目は出来損ないなのです。

もっとも、政子は超多忙のため、子供の世話は乳母にまかせっきりだった。

子供達は、母より乳母の言うことを聞いた。
「んま、可愛くない!!」ということになった。
作家、永井路子さんは、そうおっしゃってますね。

子供は、かわいがらないといい子に育たないのよ。
政子さん。

政子と、義経の母、常盤を比べるとその違いに胸を衝かれます。
で、次は、常盤の気持ちになりきりたいな。



☆☆ 常盤の愛した男 ☆☆8月9日

さて、常盤。きのう、「義経」でちらりと出てきました。稲森、綺麗だよね。

藤原氏の栄華の最末期、藤原伊通が美人コンテストを催しました。例によって、自分の娘を中宮に入れることに成功し、その侍女に美人を選ぼうとおもいたったわけ。
まず、都中の評判の美女千人が選ばれ、さらに、百人に絞り、さらに、十人、そして、選ばれたのが、13歳の常盤だったのでした。

身分は、中宮の雑仕女。
まあ、小間使いみたいなものかな。

その彼女が、義経の父、義朝のもとへ引き取られたのが15歳の時らしい。世の中は、まだ、貴族の時代で、平家も源氏も、貴族のガードマンをしていた頃です。

多分、常盤は、幼い頃から近所で評判の器量良しだったことでしょうね。母も期待して、少しでもふくよかになるように自分の食事も削って常盤を育てたんじゃないかしら。

そして、彼女は中宮さまのところで、働けるようになりました。あわよくば、貴族の子弟に見初められたかったけど、さすがに美貌だけでは計算高い彼らの気を引くことは出来なかったのね。

当時の貴族の男は、奥さんの実家の力で出世しようとするものだから、案外窮屈だったと思うな。
通い婚とか言って、あちこちに女を待たせて置くのは、自分に力のある場合だけ。
大抵は、奥さんのご機嫌を損ねないようにしないと、寝に帰る所もなくなっちゃいますからね。

でも、遊ばれて、捨てられる、そんな雑仕女の多い中で、常盤の選んだ義朝は、イイ選択だったと思いませんか。

当時の義朝は、ベンチャー企業の青年実業家のようにみるみる、大物になっていきました。
彼女は、3人も子供をなし、生活の面倒を見てもらいました。名前だけの貴族の息子よりよかったんじゃないかしら。

しかし、義朝は戦死してしまいます。

彼女は、子供を連れて逃げました。
すると、母親が、つかまったと知らされます。
子供を連れて、出て来いというわけです。

常盤は、たまらずに、まろび出る。

ほんとうなら、歯を食いしばってでも源氏の血筋を守らなくてはいけないのでしょうが、彼女は、母親が拷問を受けていることに耐えられないのでした。

出て行けば、今度は、子供達が殺されるとわかっていたのに出て行くわけです。では、子供より、親をとったのかというと、そういうわけでもない。

いつも、彼女は、おろおろしているのです。なんのビジョンも感じられない。信念もない。計画性もない。
非常にいらいらする女であります。しかし、共感はできます。
立派じゃないかもしれないけれど、普通の気持ちを持った女性だと思います。

清盛が興味半分で彼女を抱き、女の子が生まれますね。昨日の、「義経」にも出てきました。そして、下げ渡された、藤原長成との間にも、いっぱい子供が生まれます。
それでも、彼女は、義経のことも心配し続けただろうし、他の子供達のことも思い続けただろうと思うのです。母を思い、子を思い、しかし、なにひとつ出来ない女なのでした。

では、彼女は、どの男の人を愛したのか。
世界を動かす男達の、真ん中にいたわけだけど。

案外、誰も愛してなかったりして。


義経(下)新装版
司馬遼太郎は、小柄で、目の大きな女性が好みだったらしい。ちょっとがっくりしましたが、話のテンポが早いので、歴史をさっとなぞるのには便利な一冊。



☆☆ 天下御免の遊び人、後白河法皇 ☆☆

前回の「義経」不思議でしたね。
屋島の合戦がまるで、負け戦のようでした。
義経といえば、常勝・刹那系と思っている私にとっては、コメントの仕様がありません。誰にも聞かれてないけどね。

で、ちょっと、視点を変えて後白河法皇のことを書きとめておきます。

大河では、恐ろしく適役っぽい人がやっていますね。
あの、ねっとりした感じ。さすがです。
本物は、どんな人だったのかしら。また想像してみます。

高校の時、「梁塵秘抄」というのを習いました。京都の地下、歌舞伎もん、など下賎の人々の間で歌われていた流行り歌をまとめ上げたものです。現在、全部の巻は残っていないけれど、それでもおびただしい数の歌が収められているわけ。その、編者というか、収集者が、後白河法皇です。

平家が台頭して、源氏が台頭して、御所と貴族の平安時代が終わるというめっちゃ忙しい時期に、彼はこんなことをしていたんです。流行歌集め。

そして、自らも歌って、踊って、一晩中楽しむ。
そういう人だったんですって。
あんまり歌いすぎて、のどが破れたことも数回。

どこぞで、面白い歌い手がいると聞くと、すぐ召しあげて手放さず、一緒に歌いまくったといいます。

そもそも、彼は、まさか天皇となり、法皇となるなんて考えてもいない部屋住みの宮様でした。このまま、御気楽人生かなっと本人も思い、回りもほおって置いたので、毎日が楽しくて仕方なかったらしい。

ところが、人生とは不思議。
思いがけないことに28?才だったかしら、大分年を召してから天皇になっちゃいました。

歴代の天皇は、この所、幼くてお飾りだったのに、大人が天皇になったわけ。
当然、権力欲があります。
今までは、藤原氏が偉そうにしていた。
と、今度は、平家が偉そうだ。
もっと、天皇制をもっとアピールしなきゃ、と思う。
思うけど、時代が変わって武士の時代になっていることを、彼はちゃんと把握していたんだな。
この次の、後鳥羽上皇のような馬鹿な時代錯誤はしない。

武士をつぶすのは無理、とわかっていました。
だから、彼の作戦は、こうです。
いかに武士の時代が来ようと、天皇家の権威こそ第一のものである。

三種の神器を、探せ!
あれは、大切なものである。

もし、朝廷を奉らないつもりなら、三種の神器を取り返す必要なんてなくなるでしょ。しかし、執拗に持って来い、と命令する。
そんなに大切なものなのか。

じゃあ、やっぱり、朝廷は偉大であるなあ。
と、言うわけで、朝廷は安泰です。
失くしちゃったら、なんてことをしたんだ、ばか者!!と、怒鳴ればいい。

実に、面白い。
後白河法皇は、人の気持ちを読めるのね。
もともと、遊び人だから人の気持ちがわかるのか、それとも、人の気持ちで遊んでいたのか。

好奇心も旺盛でした。
平家が都を落ちていく様子、義経が木曾義仲を討つ様子。
そういう、誰かが堕ちていくのを見るのが大好き。

もちろん、義経が堕ちていくのもわくわくしながら観察したことでしょう。
義経は、本当はブ男だったという説がありますが、私はかなり美しかったのではないかと思っています。
ミス・平安の常盤の息子であったこと。
後白河法皇が、かわいがったことから。

この、耽美主義の法皇が、いかに作戦とはいえ、ブ男で遊ぶとは考えられないもの。
そして、高貴な方なのに、なんでも自分の目で見たがるところも、いとおかし。
ガラスのない時代、戸の隙間から都を追われる人々を見た、と伝えられています。
彼がいなかったら、万世一系の天皇家が大変な危機に面していたことでしょうね。


義経の生きた時代2へ続く
















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